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不況と不安 複雑な原発城下町

それはそうでしょう。

 「事故が不安」「被災地が元の姿に」--。07年7月の新潟県中越沖地震で震度7の揺れに襲われた東京電力柏崎刈羽原発7号機が9日、1年10カ月ぶりに運転を再開した。地元の柏崎市と刈羽村の住民は複雑な思いで「起動試験開始」「臨界到達」の知らせを受け止めた。

 「安全を強調したうえで問題を起こせば再起できない。東電は重荷を背負った」。原子炉から制御棒が引き抜かれ、核分裂が始まった午後2時。刈羽村の通称「団結小屋」で元村議の武本和幸さん(59)はこう語った。

 労組や住民でつくる「原発反対地元3団体」が79年に結成されて以来のメンバー。監視を続けてきた意義を強調する一方「問題は複雑」とも言う。

 85年に1号機が営業運転を始めるまでは多くの住民が参加したが、稼働以降「子供が東電に入った」などと距離を置く人が出始めた。「原発城下町」という現実は認めざるを得ない。

 柏崎商工会議所の松村保雄会頭は「不況が襲うなか、運転再開は明るい希望」と歓迎したが、経済効果については「1基が動いたからといって、地元が急に潤うわけじゃない」と冷静だった。

 柏崎市のJR柏崎駅前の仮設住宅。主婦(67)は「地元発展のためには仕方がないが、放射能漏れ事故が起きたら、被害を受けるのは私たち」と経済と不安の間で揺れる。

 地震後「原発がなくなるのでは」と心配した市民もいる。電気工事会社経営の桑山秀雄さん(38)は「原発をあてに商売してきた仲間は多い。柏崎が震災前の姿に戻る意義は大きい」と語る一方「いつまでも原発に頼るわけにはいかないかも、と考えるようになった」と明かした。

 「原発には寿命がある。今からその後のことを考えないと」。武本さんも同じ思いだ。「答えを持っているわけじゃないが、気づけた意義は大きい」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090510-00000010-maiall-soci

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